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夫婦にとっての珍味とは魚の蓋物に入れた愛の証の実行力。 [不倫の詩]

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珍味といわれるものは少ない量のものと決まっている。

たとえ世界で一番の珍味であっても、見慣れていたり大量

取れたりすると珍味としての位置づけはされない。

この世のものとは思えないくらい美味しくても、

量産できるようになれば珍味ではなくなり、

 大衆的な食材となりさがることになる。

 

人間にたとえて珍味を激論するならば、

希少価値的存在の人であり、誰とも比較できない人。

絶世の美人とか頭の切れる人とかお金持ちなどはたくさん

いて、珍味な人と言うことはない。

では、珍味な人とはどのような人をさすべきなのだろうか?

  

★あごが三角形にせり出していてご飯が食べにくい人。

★扁平とんがり頭で、大人なのに帽子のサイズが

幼児サイズ以下でないと常にずり落ちてしまう人。

などなどと、いろいろ奇想天外な想像をしてしまうが、

決してそうではないのである。

珍味な人とは数少ない人ではなく「少ないことに気づき

それを生かせることができる人」のことと私はおもう。

皆さんにはここで即座に気づいて欲しいことがある。

魚の蓋物の珍味いれは、イクラとかウニというありきたり

珍味を入れるばかりではなく、時にはこの蓋物を使って

最愛の奥さんに驚きと楽しみを与えてしまおうと考え、

実行する人のことを「珍味な人」と言うことを。

たとえば、この土暖作魚の蓋物の底に「いつもありがとう、

感謝・パパより」 と書いた小さなラブレターをうまく潜ませて、

その上に奥様の大好きなチョコバニラを乗せて、

そ知らぬ顔でテーブルの真ん中に置いておくのです。

奥様は何でここに魚の蓋物が??と不思議に思いながら

蓋を開けてびっくり、魚の蓋物なので「ぎょ!」と驚きます。

もう何年ぶりなのか分からないくらい奥様は感動し、

「マア、うちの主人にもこんな素敵なセンスがあったとは?」

と、驚き桃の木山椒の木です。

このときからあなたは奥様にとって「とても珍味で味わいの

ある素敵なだんな様」といわれるようになるでしょう。

誰でにもできそうで、できないことはそこらあたりに転がって

いるのですが、なかなか気づくことができませんね!

できないことに気づき、それを実行したあなたは

奥様にとって世界にただひとつの自分だけの珍味と

なって、永遠に愛の記憶として心に残ることでしょう。

念のために申し上げておきますが、魚の蓋物の作者の私を

お二人の「愛のキューピット」として是非お忘れなくね。


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