安らぎの応接は提案型の住空間。温暖海在住の泳げない魚の時計はホッ時計。 [不倫の詩]
手作り陶芸で平らな板を作ろうとすると、反ったりゆがんだりして意外と大変。
たかが直径30cmぐらいの丸いものでも、一定の厚さで歪なく焼き上げるのは難しい。
昔のあるとき、時計を作ろうと思いつき挑戦してみた。
ところが、平らな板を作ることもさることながら時計のパーツを取り付ける穴を
どのようにあけてよいのか分からず、もうその時点で困った記憶がある。
陶芸の土は乾燥時と焼成時に約一割くらい収縮する。
そのため、収縮率を計算して少し大きめに作らなくてはならない。
工場で生産するときは条件的に整えて作られるのでどの程度収縮するのか
割り出しやすいが、趣味の陶芸では粘土の水分量をはじめそのほとんどが
きちんと管理されていない場合が多く、計算することもできずぶっつけでいくしかない。
板状の作品を作ろうとすると、歪みがきやすいのは水分とか粘土の固さとかが
どうしても不均一なので乾燥時点ですでにゆがんでくることが多い。
人間界でも乾燥しきった世の中では、信じられないほど歪んだ出来事も起こりえるので、
手作り陶芸に限らず均質を保つことは大変大きな問題点なのだ。
がしか~し、そんなことを言っていても時計はできないからとにかく挑戦するしかない。
結果、挑戦したかいがあって、カレンダーのイラストそのままのものができあがった。
時計のパーツをはめ込んで、早速応接間にかけてみた。
魚の表情よろしく楽しい時計が出来上がったが、話は昔のこととて
当時の時計は今のように正確さはあまり期待できないものだった。
この時計もご他聞にもれずかなりいい加減なもので、
気分しだいで勝手に止まってしまって正確な時刻を期待する時計とはいえなかった。
しかし、手作り陶芸の時計は時刻ここそいい加減ながらも、
魚型の色とか形で私の心を充分に和ませた。
そこで私はその時計に名前をつけることにした。
その魚はいつも暖かくこちらを眺めていてくれてホッとすることと、
いい加減なため時刻をあまり期待しないでいようという意味で「ほっ時計」
期待しない、期待できない時計で「ほっとけい」となんだか今の時代を象徴しているようで
気になるが、まん丸な形と手作りの暖かさが伝わる魚なら、
それはそれで私にとっては貴重な財産ともいえるもの。
もう20年近く昔の作品なれど、今でも部屋の片隅で私を見つめていてくれる。
永い年月がたっても飽きない作品は、自分にとっての傑作と言えるかもしれない。
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