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うさぎにとって、京都・清水の舞台に跳び上がるより飛び降りる方が勇気がいるのか?

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ウサギがぴょんぴょんとはねる姿はほほえましくも可愛い。

しかしながらよく考えてみると、あのぴょんぴょん跳ねたような姿は単に

前足と後足の長さ違いの結果そのように見えるだけで、

実はほとんど跳ねていないのではないのか?と

ふと馬鹿なことを考えついた・・・のである。

 

ふわふわでころころ・やんわりウサギちゃん。

外見からは苦労がない世界に生きているような気がして羨ましい限りである。

が、しかーし。現実はそれほど甘くはないはずだ。

とっさながら、私はある舞台設定を思いついた。

かわいいウサギちゃんにとって、京都・清水の舞台とはいったいなんだろう?と

人間が作ったものだから人間的には上から見ることが常識と考えられるが、

「舞台」と名がつく以上、観る方と観られるほうの両面的解釈があっても

あながち変とは思えない。

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飛んでいる最中のウサギの姿はこんな姿・形なんだろうか?

飛び降りる姿と跳び上がる姿が対象的と考え、

逆の姿を想像するのも面白いし意味深い。

なぜなら、飛び下がるのと跳び上がるのとではエネルギーが格段に違うし

結果もまったく違うことになるような気がするからだ。

 

巷では年金情報と併せ、高齢者放置の話が大きな話題となっている。

人が骨と皮だけになっていても、知らぬ存ぜぬで過ごせることができると

正式に立証されたような気がしてまたまた人間不審が募りそう。

人間、一生に一度は清水の舞台から飛び下がるか跳び上がるか

しないといけない・・と宿命付けられているとしたら、

私は跳び上がるのか飛び下がるのかどちらにするべきか?

 

実は私にも93歳の母親がいまだひとりでの生活でいる。

その母親を引き取る決断をするべく、

おりしも今、私は清水の舞台の最前面に立ってしまっているのだ。

夫婦の老老介護も大変だが、息子と母親の老老介護もまた不安が大きい。

そんな舞台にも、飛び下がるか跳び上がるか選択の余地が有るとしたら

私は迷わず跳び上がる方を選択したい。

飛び下がるのは楽でも、地面に激突では悲惨すぎるので、

いつかはイラストの空飛ぶウサギのように、

羽ばたいて羽ばたいて飛び上がるとことを夢みたいものだ。

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このウサギは、はたして飛び下がっているのだろうか

跳び上がっているのだろうか?そこが大きな問題だ!

土暖


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