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茶で感じた人生の苦い経験・失敗は渋い人間作りの元 [陶芸]

今日は朝からしょっぱいの連続。
おっと違った、失敗の連続。
お茶を飲もうと、茶葉を缶からスプーンですくって茶漉しの網にいれたつもりが
直接湯呑茶碗の中に入れてしまった。

これはひょっとして認知症の始まりなのだろうか?
育ちが良いだけに少しうろたえた私であったが、そこはぐっと我慢の少しふけた男の子。
ちゃうちゃう!!そんなのいつもの事とて関係ない関係ない!
と、いつもの通り考え方を少し振ってみる事にした。

湯呑みに茶葉と湯を一緒に入れたお陰で気がついた事が若干ある。
いつもよりお茶の味が違うのだ。
いつもはお茶の色は付いていても、味は殆ど感じないまま呑んでいる。
まあ、私のさっぱり人生にはさっぱりお茶が似合うというもので、それが私にはお似合かも?

が考えてみれば、客観的に言って年令と共に渋みをどんどん増している私としては
お茶の味も、もっと渋い方が似合うのかもしれない。
だとしたら、これは大変・・何とかしなくチャと、思いついたことがある。

なまかわな私は、茶葉を茶碗の中に入れて湯を注ぎ、
セクシーな唇で「フーフー」してくれる人もいないから「ズズズズズー」とそのまますすり飲む。
途中、おや?と敏感肌の私の白い肌のきめがまた細かくなったような気がしたのだ。

というのもお湯をどっと注いだだけだから、底にお茶のエキスがたまったままのようなのだ。
飲み進むうちにどんどんと味が濃くなって、最後になると少し苦いくらいの味になるのだ。

???・・・さあここが人生の面白いところ。
飲み始めは薄い。
とにかく薄い味で、まるで白湯をそのまま飲んでいるようだが
少し飲み進むと味が少し感じられるようになってきて、まあまあかな?
な~んて思っていると、最後の方になってどんどん味が濃くなる。
ひょっとしてこれは、私の人生への暗示ではないかと敏感肌で感じた次第なのだ。

もう伸びきってしまった、もうなんの役にも立たないと思われた自分の過去の経験とか考え方が
自分でも気がつかない所に、このお茶のように旨味として沈んでいるのだという事に気がついた。

伸びきってだらしなくたまっている茶葉の間には、実は本当の茶の味が色濃く潜んでいて
それを、茶葉が口に入らないように口をすぼめ、茶碗との間隔を紙一重に狭める。
その上で、だらしないかもしれないがズルズルとすすりこむと
じんわりと渋みのある一滴一滴の人生が滲み出てくる。

う~ん、これは大変な発見なのかもしれないぞ?

と思いながら、壁を見るとそには富士の山。
私の心の底にたまった濃縮エキスを存分に吸って大きく成長した富士の山。
裾野がどこまであるのかわからない山は大きく果てしない。

最近、てっぺん禿げたか?になって特に感じるが、
出世のてっぺんばかり誉めそやされる世の中にあって、
裾野の広がりがいかに大切かという事を物語っている富士の山。

訳のわからない意味の文字が雲のように遊ぶ富士の山には、
ありとあらゆる人間の気持ちが漂うことを象徴しているのだ。

う~ん、これは凄い絵なのかもしれないぞ・・・私が描いたのだから・・・。
といいながら、実はこれも失敗作。

せっかく自作の絵を表具したのに、時間をおいて見てみたら気に入らなくて
完成品の上に直接絵を書き足してしまったのだ。

当然、水を使って絵を書き足すので表具が駄目になるのをわかっていてした事なのだが、
意外と私はこの絵が気に入っている。
失敗は成功の元とはいうがこれもその一つといえよう。

これは先回の酒器にあわせて使えるように作った魚絵の取り皿。
呉須染付けの魚で、この魚は私独特のキャラクターとして大きな目玉と
「奪って~」と、言っているように唇を突き出す可愛い魚。

下は波模様を描いた物だが、波がポチャンと跳ねて魚が「どうもすいません」と
林家三平よろしく頭を掻いて恐縮している。
これは取りも直さず、私の「おじさん駄じゃれ」に対する批判の声に恐縮したものである事は明白だ。

その左上に少し小ぶりな魚の蓋物がある。
これが、またしても私の最も得意としている魚キャラクターの蓋物。

蓋物は作るのが難しく、たくさんの不良品がたくさん出て困る。
ゆがみ・そり・ひっつき・等は茶飯時の蓋物だが、なぜか私は好きでどんなに失敗してもよく作る。

なぜなら、こんな蓋物に珍味を入れて赤絵の徳利と盃で最愛の母ちゃんと
「おっとっとっとう入れすぎた・・・あらー、まあまあサービスの良い事!・・・ね、おとうちゃん♪」
とかなんとか言いながら、注しつ注されつするのが夢だからだ。

あ~いかんいかん・・・またお尻ひっつき虫が余分な立ち話をし出したようだ。
お後がよろしいようで、私はこれで引っ込みましょうね。

作品の詳細は左サイドバーに記載の「告井土暖の個人美術館」でご覧いただけます。
お問い合わせはホームページ内のメールもご利用いただけます。


 


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コメント 13

めぎ

中国では、お茶は湯飲みに茶葉を入れてお湯を何度もつぎ足して飲むそうですね。うちではそれに倣っていつもそうしてます。
by めぎ (2008-01-25 03:18) 

田吾作

めぎさん
やはりそうでしたか!
お茶は飲むとも言いますがすするとも言うので
そうかな?と思っていました。
よく中国映画の時代劇の中で、蓋を少しずらして茶をすする場面を
よく見ることがありますね。
茶(紅茶?)を街頭で売り始めた頃のイギリスでは、
取っ手のないカップで
熱々をソーサーに移して飲んだと聞いたこともあります。
by 田吾作 (2008-01-25 16:34) 

オデコ

何度見ても富士山の掛け軸はいい色ですね。
下に置いてあるのは、花器ですか。
お茶は渋くて濃い方が好いですね。!
by オデコ (2008-01-25 20:43) 

むらさき

ちょっと ドジった おっとうとうおじさん フフ
でも富士山の裾野のように広がるお話
面白かったぁ 薀蓄ありでした^^
富士山の軸も素敵です 衣装もばっちりですね^^
by むらさき (2008-01-25 23:02) 

田吾作せんせ、これで急須要らずで飲めますね。
すするときのクチビルは・・・そうそう・・・その形・・・湯のみとchu~♡

富士山の色合い・・・いいですね~。
by (2008-01-26 09:13) 

富士山の絵、田吾作さんが描かれたのですか?
私の好きな色合いで、いい感じです。
by (2008-01-26 22:28) 

田吾作

おでこさん
失敗した絵の上に描いた割にはいい雰囲気でしょう!
下の陶器はこれも変わった形の花器です。

むらさきさん
私はどじおじさんで困ります。
ですから、「おっとっとう(ずっこけた)」という言葉をつけているんですよ。

こぎんさん
陶芸家として、みんなが急須をまったく使わなくなると売れなくて
万事きゅうすとなりそうで困ります。
熱いお茶をチュウチュウしていたら唇にやけどしそうになり、
たらこ唇なってしまいました。

風子さん
もちろんこの絵も私が描きました。
軸装をやり直せば、意外と立派苗な絵になるかもしれません。
by 田吾作 (2008-01-27 18:00) 

私は、てっぺん禿げたかより、裾野禿げたか状態?
裾野が無ければ、てっぺんは有り得ませんね。
by (2008-01-27 18:02) 

テリー

なかなか面白いですね。自分の失敗をこういう形で、正当化するのも才能ですね。
by テリー (2008-01-28 14:51) 

田吾作

タクさん
分かったような分からないようなご意見で
なぜか笑ってしまいました。
タクさんの頭は裾野がない状態ですか?

テリーさん
失敗したときはその後どうすればいいのか
意外と分からないものですね!
ただ捨てるのが惜しかったからだけなのかも?
by 田吾作 (2008-01-28 16:33) 

パキちゃん

あとになればなるほど、渋みが増していい味になる。
ほんと、人生に譬えられますね。
魚絵の取り皿も蓋物も、ひょうきんな表情が楽しいです^^
富士山の絵は、紫に松の青みがかった緑が映えて素敵ですね!
by パキちゃん (2008-01-30 12:33) 

私もやっちゃいますよ、直接湯のみに入れてしまうこと。。
いろいろ考え事をしながら行動しているからですよ(^-^)
いや、無意識かな?無意識行動が多くて困ってます(^_^;)
表情がとてもnice☆なお魚さん♪
by (2008-01-30 21:00) 

田吾作

パキちゃん
渋味は味もそうですが生き方そのものにも出ますから、
人生いつもこれからが本番と思う事かもしれませんね!

夢空さん
本当に無意識行動が多くなってきて、時々心配になります。
これがボケの始まりでない事を願うしかありませんね。
by 田吾作 (2008-01-31 18:55) 

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